手塚治虫のすごさを考える

公開日: : 最終更新日:2012/02/14 Diary

手塚治虫はそんなに凄い人じゃないと思う(はてな匿名ダイアリー)

 ひとつ、昔話をする。

 1998年、今から11年前の、東大アニメ研ゴールデンウィーク合宿での話。当時は年5回の合宿が行われていて、まあやることはダラダラアニメ見たり麻雀打ったりゲームしたりなんだけれども、その皮切りになるGW合宿に腕まくりして参加したわけだ。『オネアミスの翼』のような自主制作アニメを我々も作ろう! とサークル勧誘で諸先輩方相手にぶち上げていた、クソ生意気な新入生のぼくが(当時を知る身内は『最近のありむーは昔に比べてなんかマトモになってしまってつまらん』とことあるごとに文句を言う)。

 そこではじめて、最近亡くなったアニメーター・金田伊功の手がけたいくつかのオープニングアニメを集めたビデオを見た。先輩のひとりが持ち込んでいたのだな。スチール写真でこそ彼の手がけたカットを見たことはあったものの、実際に映像で動く金田作画を見たのはそれが最初だった(いや……高校時代『ヤマトよ永遠に』を借りて見たときに、彼の担当したパートを目にしてはいるか。ただ、それが金田パートだったと知ったのはもっと後のことだ)。その中のひとつに『無敵鋼人ダイターン3』のOPがあったことは覚えている。

muteki koujin daitarn 3 op


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一緒に見ていた、それぞれ3年上と12年上(声優評論家・小川びい氏の同級生)の先輩二人が「日輪の輝きを胸にひめ」のところで「うわぁ金田! とっても金田!」と沸き立ったのが印象的だった。

 そのビデオに対するぼくの感想はこうだった――「なんか、際立って独特なものでもないというか、よく見かける表現だと思うのですが」

 先輩二人は何やら大いに慌て、何かを押しとどめるような身振りで、口を揃えてこう言った。「いや、それはみんな金田作画を真似するようになって一般化したからなんだよ!」

 そういうものなのか、と思った。……まあ、作画マニアでオタク系ライターということになっているぼくにも、そういう時代があったわけですよ。

20年目のザンボット3 (オタク学叢書)

20年目のザンボット3 (オタク学叢書)

 元増田氏の手塚治虫評も同じようなものかもしれない。だいたい、「すごい」というのはどういう文脈に拠っているかを考えなければならない。ブックマークコメントでは多くのひとが「先駆者としての手塚治虫」という文脈でのすごさを強調して反論しているが、それは「面白いと思った事が無い」という彼の感想を覆しうるものではない。面白いか否か――もしくは「今見て」面白いか否かと、コロンブスの卵であったことの価値は別の問題ではある。コロンブスにかこつけるなら、アメリカ大陸の「発見」だって、彼よりも何百年も前にレイフ・エリクソン率いるヴァイキング船団が成し遂げており、定住地の遺跡も見つかっているのに、そっちはあまり省みられることがない。さらに言うなら、コロンブスの到達した新大陸の名「アメリカ」の由来は、晩年の不遇の中で新大陸をアジアの一部だと主張し続けた彼ではなく、独立した大陸であると唱えたフィレンツェ人アメリゴ・ヴェスプッチだ。

 話がそれた。元増田氏は「ガンダムの監督の人」も引き合いに出しているが、『機動戦士ガンダム』1話、正直今の基準で見ると絵は汚く見えるだろう。ほぼ同じような展開の『機動戦士ガンダムSEED』1話に比べると間延びして退屈、とコメントした後輩もいた。ぼくなどは、初代ガンダムも見慣れているのであのテンポで楽しめるが、これが『宇宙戦艦ヤマト』になるとさすがにいろいろと古すぎるのか、実はピンと来なかったりする――一回り以上年長のオタクが入れあげるようには。それはもう時代の流れというもので、致し方のないことだとは思う。ただそのことと、当時においてエポックメイキングであったことの価値は別だ。そこを切り分けなければならない。

ヴィンランド・サガ(1) (アフタヌーンKC)

ヴィンランド・サガ(1) (アフタヌーンKC)

 さらに、世代的な思い入れや、そういうものに煽られて後世ひとり歩きしてしまった評価をも切り分けねばならない。現在流通している『ヤマト』や『ガンダム』、さらには『エヴァ』の評価には、多感な時期にそれらに熱中した人々の主観もかなり作用しているはずだ。

 そして、彼らの熱い「語り」や世評に触れて、後続世代がなんとなく評価を固定してしまうという現象も起こる。たとえば東大アニメ研はサークル勧誘で毎年アンケート調査を実施しているが、オールタイムベストでは現在でも『ヤマト』や『ルパン三世』、『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』といった30年以上前の作品が複数の票を集める。その後定着したメンバーに話を聞いても、このあたりはもはや見られてなどいない。おそらく、実際に見たわけではないけれどもテレビ番組などで「名作」とされているからなんとなく票を投じた結果であろう。

 同じことがこの記事でも起こっているように思う。以前ぼくの書いた『今手塚治虫っても、ちょっとねえ……』という記事のブックマークコメントを見るに、同時代の作家として手塚治虫を読んでいたはてなユーザ(一部だけど)はほとんどおらず、歴史書か学校の図書館に置くことを許された文学的なナニカといった感覚で接しているひとが多い。どころか、そもそもそんなに読まれていないという実態まで読み取れる。元増田氏にあれだけ反発した人々も実際どこまで手塚作品に触れているのかは眉唾で、何かこう、歴史修正主義のように見えたのではないかという気がするのだが、いかがだろうか。もしよければ、この記事のブックマークで触れた手塚作品を申告していただければ幸いである。いろいろ参考になりそうだ。

 ところで、手塚治虫の逝去直後に、まさに「手塚治虫はそんなに凄い人じゃないと思う」に近い罵倒を行った人物がいる。宮崎駿である。『COMIC BOX』1989年5月号に寄稿した『手塚治虫に「神の手」をみた時、ぼくは彼と訣別した』(現在は宮崎駿著『出発点―1979~1996』収録)の内容は、手塚治虫はストーリーマンガはともかく作ったアニメはサイアク、という趣旨だ。

 よしもとばなな記事で批判した「孫引き」になってしまって非常に心苦しいのだが(近日中に国会図書館で元文章に当たる予定)、冒頭にはこういう一文がある。

ハウルの動く城

「 (手塚さんは) 闘わなきゃいけない相手で、尊敬して神棚に置いておく相手ではなかった。手塚さんにとっては全然相手にならないものだったかもしれないけど、やはりこの職業をやっていく時に、あの人は神さまだといって聖域にしておいて仕事をすることはできませんでした」

 とりもなおさず、元増田が本来批判しようとしていた「業界ぐるみでその雰囲気を盛り立てていくために、手塚治虫を利用してきたところ」の存在がここには暗示されている。実のところ、周囲の扱いにかまわず、手塚本人は最後まで第一線に立ち続けた。「治虫終わったな」の劇画ブーム時代を乗り越えて『ブラックジャック』でカムバックし、大人向けの劇画作品を手がける大先生となった晩年でさえ、自ら持ち込みを続けていたという。そうして、全集にして400巻を超える作品(そこにはマンガ史に残る名作のみならず、愚にもつかない駄作も多々含まれるという。デーモン・ナイトによるアルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』評*1を思い出す)を生み出したのだから呆れるバイタリティだ。

出発点―1979~1996

出発点―1979~1996

虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫 SF ヘ 1-2)

虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫 SF ヘ 1-2)

 思うに、現在老齢だったり、すでに鬼籍に入っていたりするさまざまなジャンルの先駆者は、まずもって仕事量が尋常でないことが多い。御年68歳の宮崎駿にしても、緻密な絵コンテを切り、全てのカットにラフ修正を入れて動きのタイミングを直すという、監督の域を超えた超人的な働きぶりである(さらに「もののけ姫」を読み解く参照)。「ガンダムの監督の人」の絵コンテ千本切り伝説も有名な話。手塚治虫の『鉄腕アトム』をはじめ「1970年代に爆発的に製作本数が増えるまでは、アニメ作品に関しては関係していないものから数えた方が早いほどであった」(Wikipediaより)脚本家・辻真先などもそうだ。ベスターが出てきたついでにSFの話をするなら、国内外でそれぞれ「御三家」のひとりに数えられるアイザック・アシモフや小松左京の博覧強記ぶりと、多様なジャンルにわたる著作数の多さは、余人にはおいそれとなし得ないものだ。スポーツなら金田正一の400勝(これはブクマでも指摘されていた)やペレの1281ゴールもそれに近いのかもしれないが、このジャンルには疎すぎるのでこれ以上の言及は控える。

 ただ、以前野球好きの知人と話したところでは、金田の400勝はあの当時のルールだからこそできたことだという。そういう記録はけっこうあるらしい。手塚治虫の仕事量もそれに近いものはありそうだ。60年近く前に「めぼしい少年漫画誌のほとんど」(Wikipediaより)で連載を持つなどという芸当ができたのは、マンガの主な発表形態が赤本と呼ばれる描きおろし単行本や貸本だったところに月刊のマンガ雑誌が登場した直後で、まだ数も少なかったから――という面もある。なお社団法人日本雑誌協会のデータによれば、現在国内のマンガ雑誌は少なくとも100誌を超えている。

 膨大な仕事量や、それと関連する新たなサブジャンルの開拓などは、時代性や環境要因と決して無関係ではない。その意味では、元増田氏が時代性を指摘していたのは鋭いと言えなくもない。理解度はどうかと思うけど。

 とはいえ、ならば手塚治虫は交換可能なのか? となると、そういうわけでもないのがこの世の妙。結局、彼があの時代にああいうことをできる能力を持って存在していた、そして実際にやらせてもらえた。何もかもが上手いこと噛み合ったためにこうなったのだ。……こういったことに、後付けで必然性や因果関係らしきものを見出すのも誤った態度なのかもしれない。それこそが、元増田氏の批判するような、気軽に「神様」と担ぎ上げて利用する風潮につながる。

手塚治虫訃報(1)


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 ところで。

 それこそ、手塚治虫を金田伊功に置き換えてみると、案外ここまでの反発は起きないのではないかという気がしてならない。「なんか、際立って独特なものでもないというか、よく見かける表現だと思うのですが」という物言いでも、意外と同意されてしまうのではないかと……。

神罰―田中圭一最低漫画全集 (Cue comics)

神罰―田中圭一最低漫画全集 (Cue comics)

*1:早川書房『新・SFハンドブック』p40より。「ここには、並みの小説六冊分に匹敵するほどの優れたアイデアがある。それだけでは飽きたらずに、ベスターはもう六冊分の悪趣味と、矛盾と、不合理さと、完全な科学的誤謬をつけたした。ところが、おそるべきことに、これらすべての欠点にもかかわらず、やがてこの小説は目的地にたどりつき、形と意味を備えてくる。ベスターはガラクタから芸術品を作りあげたのだ」

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Comment

  1. mizchi より:

    シェークスピアを見た英婦人が「よくある表現ばかりで面白くなかった」と嘆くというジョークもありましたね。音楽なら「ルーツであるブルースを聴かずに、ロックを語るなんて論外だ」とか。
    これらはもちろん極論ですが、コンテンツと向き合うにあたって時代性を考慮するのは必要で、考慮した上で、ある程度バッサリ切り捨てる勇気(それを勇気と呼ぶならば、ですが)も必要なのだと思います。というのも、「原典」が多すぎるのです。そうでもしないと、古典の予習だけで一向に「今」に辿り着けません。

  2. より:

    I want to know whether I can send this meassage

  3. Lionell より:

    横道すぎて本筋とまったく関係ない突っ込みですが、アメリカ大陸”発見”ってのは先住民(アメリカンインディアン)を人間と見なしてない(キリスト教徒以外人間でないとか未開人は人に非ずとか)所に起因するアイロニーとかでバイキング云々よりも根が深いお話だったりします。

  4. y_arim より:

    まあ、だからこそ「発見」とカギカッコつけて記述したわけですわ。

  5. NANASI より:

    うーんなんというか…
    まず価値観が人により千差万別ですから凄いと思えない人も当然いるだろう、というだけの話かと思います。
    手塚氏を漫画のパイオニアだから云々とは関係なしにその作品が面白い、凄い、と思える人が多いのは確かでしょうからそれで十分な気がします。
    増田氏の言う様に世間で神様扱いされているから特に考えもなしに神様だと、凄いと認識している人ももちろんいると思いますけどね。
    私などは世間で神様神様言われているのに懐疑的な人間の一人だったのですが、それ以上に無関心でした、手塚氏に関しては。私が育った頃には漫画が溢れていましたからね、わざわざ過去の古くさい作品には興味がなかったという事ですが、手塚氏の作品(ブラックジャック)を初めて読んだ時私の懐疑は消し飛び、それから幾つかの作品を読むにあたり手塚氏は天才だ、と思うようになりました。私の様な初めは懐疑的な人間にその才能を納得させる力があったのは、まぁ私だけがサンプルではなんとも言えませんが、やはりそれだけ手塚氏の才能の凄さ故だと思うわけですが、このパターンは増田氏とは違う結末ですよね。増田氏は懐疑的であり結局凄いとは思えなかった、私は結局は凄いと結論付けた。
    つまり人それぞれである、しかし手塚氏の才能を認めている人間が多ければやはりその才能は真なのだ、という事ではないんでしょうか。

  6. BlogPetの護民官ペトロニウス より:

    護民官ペトロニウスは、感覚同意しないです。

  7. tennteke より:

    はじめまして。
    ジャズの世界にもオーネット・コールマンという人が
    「ジャズ来るべきもの」という曲を発表したとき、
    「こんなのはジャズじゃない!」と否定する人たちから
    「やべぇ、このままじゃ俺は食えなくなる」と脅威に感じた人たちがいたとの話しですが、
    現代人が聞いても
    「…で?」という感じで、どんな世界にもよくある話しだと思います。
    ただ手塚治虫は、戦時中の軍国主義の風潮に突っ張って(またマンガなんて不良が描くものという価値観)、自分の書きたいものを描いていた→その世代の人たちは時代の風潮に迎合して社会的に忘れ去られた、という面も、あるかもしれません。

  8. lovelovedog より:

    どうもこんにちは。宮崎駿の手塚治虫批判テキストは私の日記の以下のところにありますので、ご参考までに、です。→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20071013/atom01

  9. lovelovedog より:

    追記ですが、私のテキストは「ネットで拾ったコピペテキスト」だったので、ちゃんと国会図書館で元テキストに当たったほうがいいのかも、というか当たるべきかも。

  10. ma_zu より:

    ブクマ使ってないのでコメント欄で。

    「鉄腕アトム」「アトム大使」他アトム色々、「ジャングル大帝」「ブッダ」「罪と罰」「人間牧場」「マグマ大使」「ブラックジャック」「火の鳥」「三つ目がとおる」「アドルフに告ぐ」「W3」
    代表的なのでこの辺は読んでます。他全集等も読んでるので、タイトルは覚えていないけど読んだ作品というのはたくさんあると思います。
    代表作の中で「リボンの騎士」だけは未読なので、少女漫画家としての手塚を評価することは出来ません。

    コメントついでに、私見を。
    作品を評価する際は、個人レベルでの「面白い・面白くない」とは別に、「時代を考慮しない視点で見たらどうか」と「当時の視点で見たらどうか」の二種類で評価されるべきだと思っています。
    余談ですが、僕が漫画・アニメあたりが文化として成熟してないなぁと思うのは、この評論の部分で文学などに対し非常に劣っていると感じるためです。

    「名作」の中には、「当時にしては凄い」作品と、「普遍的に時代を超越して凄い」作品があり、手塚の場合、前者もあれば後者もあると思っています(手塚の少年向けSF作品の多くは前者ですね。当時にしては斬新だけど、これだけ時代が進んでしまうと……というのが多いです)。また一部古典のように「別に凄くないけど、歴史を重ねたから凄い」ってのもありますね。漫画の場合、まだそこまでの歴史はありませんが。

    手塚が今話題にならないのは、リアルタイムに作品が発表されているわけでなく、読み手が各々好きなタイミングで作品に触れているためではないでしょうか。
    名作と呼ばれる過去の文学作品が、バカ売れしないように。各々好きなタイミングで買って、好きなタイミングで既に読んでるから、たまにキャンペーンをやったりしても「ああ、そういえば読んだな」と思うだけで。

    で、肝心の手塚の凄さについて、元増田に宛てて増田で書いた内容と同じで恐縮ですが、大塚英志がとてもわかりやすく「手塚の何が凄いのか」について頻繁に書いてるので、「歴史的・漫画史的に見た手塚の凄さ」ってのは最早語る必要もないレベルなんじゃないでしょうかね。
    今現在見た手塚の凄さは、「ブラックジャック」「火の鳥」なんか読めばよくわかるんじゃないでしょうか。この辺は手塚の代表作の中では、「普遍的に凄い物」の方だと思います。
    普遍的ではないけれども、今現在まだ凄い作品としては「ブッダ」とか。そのうち二番煎じ出てきたら、普遍的凄さはなくなりますが、今現在ではこれが金字塔でしょう。

    元増田は、手塚読んだことないだけじゃない・あるいは単に自分が好きじゃないだけで駄作と評価するタイプなのかな、と思いました。

  11. さかい より:

    結局のところ荒地を耕して畑を作って作物を育てた人と
    既にある畑で作物を育てた人を比べても仕方ないのかもしれないですね
    これは別にマンガの世界だけの話じゃなくて例えば天文学や数学の世界で
    輝かしい功績のある昔の人とその発見や公式を基にして新たな理論を生み出した人を
    どちらが頭が良かった、と比べるのが無意味なように

  12. RED より:

    面白い≠凄い
    の一言でいいのでは

    面白いは人それぞれだからあてにならないってだけ

  13. とくもと より:

    私見を語って申し訳ない。実は元増田氏が言ってるようなことは自分も過去に思っていたことがある。ただし自分は1968年生まれで物心ついたときには既に劇画時代の爛熟期に入っており(TVでは
    「サムライジャイアンツ」とか「ど根性ガエル」のようなスポコンを戯画化したような作品が増えていた)手塚治虫が活躍した時代は遥か前になっていた。この時代、手塚は「BLACKJACK」とか「きりひと賛歌」とか問題作も作っていたのだが、それよりすごい作品が多々ある中では目立たない存在となっていた。(後に作られることになる出崎統監督の「BLACKJACK」はかなり手塚の世界を美化し持ち上げすぎている)手塚の「リボンの騎士」などのアニメをリアルで見れた世代だが24年組の世界を既に知ってしまっていた自分にはどこか子供だましめいた作品に思えていた。

    これらの話を全て過去形で語っているのはこういうのは世代の体験に限定付けられるのでかなり差し引いて考えるからだが、同時に次のことを読み取って欲しいからだ。
    1、68年生まれというここで書いている世代の中で年長だと思われる世代から見ても手塚は過去の人だ
    (従って元増田氏からみて手塚のすごさがわからないのは仕方がない)

    2、自分はアニオタ第二世代である。そして、自分の世代が見てきたアニメーター、漫画家にとって手塚は越えるべき壁であった(事実、手塚は何度も越えられてきた。)漫画家の場合、手塚はトキワ荘世代、そのトキワ荘の弟子たち、アンチトキワ荘の劇画家によって越えられてきたし、アニメーターたちも独自やり方で手塚を越えようとした。(宮崎駿しかり富野由悠季 しかり)で、現在はその手塚を越えた者たちが雲上にいる時代だ。

    自分の場合、宮崎アニメを浴びるように見れたので(ヤマトもガンダムもナウシカもリアルに見れたので)手塚を越えていったアニメーター達がその越えるために払った努力の水準をバロメーターにして逆算的に手塚のすごさを推し量れた。だが越えって行ったものが雲上にある現世界では始祖が見えなくなっても仕方が内面がある。

    つまり何を言いたいかというと現時点で手塚の凄みを知るには考古学的想像力がいるということだ。

  14. なまえ より:

    先駆者としての云々は今見れば、という部分もあるし、
    よくわかる話だと思います。
    ただ、
     手塚が凄くない→俺が読んでも特に面白くないし
    の部分が単純に気に食わないですね。
    どれだけ上目線なんだと。

  15. y_arim より:

    コメント返しできるかなあ。

    #id:mizchiさん
    まあ「向き合う」ってのがどのレベルなのかが問題で、単に趣味の一環でなんかコンテンツ消費したいってんなら自分の感覚、快不快で接してしまってぜんぜんかまわんのですけれども、その域を超えて何事かを語ろうとし始めたら、やはりおっしゃるような作業が必要になるでしょう。なんだかずーっと言ってきてるなあ、これ。

    #NANASIさん
    「才能」なんて相対的なものであって絶対評価ではない、というお話だと受け取りました。まあ、だからこそ
    「不遇の天才」みたいな存在も生まれますよね。存命中は評価されなかったゴッホとか。
    二つの小説を思い出します。太宰治の『水仙』と、筒井康隆の『イチゴの日』。両者とも、たいした才能もないのに周囲におだて上げられ、当人だけが天才と自認している人物の悲劇についての話です。前者はさらに一ひねりして、「周囲が『わざとおだててやっているのに』と陰口をたたくのも、実は周囲の負け惜しみであって、当人は本当に天才だったのではないか?」というところまで持ち込んでいます。戦前においてすでに大衆メディア批判的な意義を持っているのがとても興味深い――後者はまさしく、どうしようもないブッサイクを国民ぐるみでアイドルに仕立て上げてしまうというドタバタ劇を通して大衆メディア批判を行っているわけですが。
    さて、手塚治虫をあれこれと評し、「神様」とまで呼んでしまう我々は、そうした批判を免れ得るのか。

    #ピート
    ちょwwwwwwwwwwwwwwwww

    #id:tenntekeさん
    > その世代の人たちは時代の風潮に迎合して社会的に忘れ去られた、という面も、あるかもしれません。
    作家で言うと、新感覚派の旗手にして川端康成の盟友だった横光利一なんかがそうですね。戦時中、当局にかなり迎合した作品をものしたことで戦後かつての名声を一気に失い、再評価されるまで数十年を要しました。
    手塚治虫への評価も「戦後民主主義」という文脈をはずして考えることはできませんね。「ヒューマニズムを描いている『から良い』」という俗論はあるように思います。

    #id:lovelovedogさん
    はじめまして。
    該当記事は拝読しております。当初はそちらを引用元にしようと考えていたのですが、全文とはいえ匿名の投稿による2chのスレが出典で信憑性の保障に難があり、また「ひ孫引き」になってしまうと考えたため、顕名の著者が直接引用している記事を探し出しました。ただ、やはり大元の文献に当たるべきなのは間違いないです。

    #id:ma_zuさん
    > 作品を評価する際は、個人レベルでの「面白い・面白くない」とは別に、「時代を考慮しない視点で見たらどうか」と「当時の視点で見たらどうか」の二種類で評価されるべきだと思っています。
    > 余談ですが、僕が漫画・アニメあたりが文化として成熟してないなぁと思うのは、この評論の部分で文学などに対し非常に劣っていると感じるためです。
    ほぼ同意いたします。ただ、漫画・アニメは同時代に消費されるコンテンツ(『読み捨て』)としての側面が強く、批評は無粋であり不要とする風潮が作り手にも受け手にも根強い面はあります。別所で記しましたが、たとえばアニメ評論の書籍は本当に需要がなく、商売として成立しがたいレベルです。商売にならなければ世に出しようもなく、ますます評論が育たないというサイクルが起こっています(逆に言えば、文学評論の出版はある程度ビジネスを無視できる文学の特権性のうえに成立していると考えられます。また、アニメに比べればまだある程度漫画評論が育っている――『テヅカ・イズ・デッド』なる本が話題になるくらいには――のは、それこそ手塚治虫の功績といえましょう)。

    #蚤さん
    Thank you for your comment. Now I can read English. Please send me your message in English, if you want to say something about this entry.

    #さかいさん
    おおむねそのように考えております。科学などの分野においてはそういうケースは多いですね。元ネタを発明したひとと、それを改良したひととか。

    #REDさん
    めちゃめちゃ端的に言い切ってしまうとそうなるのですが、ぼくは何事にも言葉を尽くさねば十分に伝わらないと考えるほうなのでこのように書き綴っております。あとまあ、職業モノカキなのでたくさん書かないと仕事にならない(笑)。ここはビジネスから1000000光年離れたブログなんで、別に3行でまとめてもいいんですけどね。

    #とくもとさん
    興味深いお話をありがとうございます。先行世代にとって手塚治虫がどのようなポジションであったかというのは常々興味を抱いておりました。過去に書いた記事の反応を見るに、たしかに30~40代くらいの方々にとっても同時代の作家としては意識されていなかったようです。実際、彼の全盛期というのは1950年代~60年代前半くらいで、それ以後は劇画ブームに押されてスランプに陥っていくんですよね。復活を果たしたときにはもう年齢的にも大御所に近くなっている。このあたりのことを去年ブログ記事に書きかけていたのですが、草稿を紛失してしまっております。
    > つまり何を言いたいかというと現時点で手塚の凄みを知るには考古学的想像力がいるということだ。
    ぼくも同じ問題意識を抱いております。

    #なまえさん
    まあ、プリミティヴな反応としてはそうなりますね。追記を見るに、単純に書き方の問題だと思いましたけど。

  16. ぽるんき より:

    ネットサーフィンしたら手塚作品について批判してる記事があると知り増田氏の記事も読みこのブログに辿り着きました。

    私見、好き/嫌いで語ってしまって恐縮ですが、私も手塚治虫の作品はあまり評価していません。
    漫画文化の基礎を作った事、功績などは讃えますし、これから漫画文化に関わる人達は手塚に足を向けては寝れないと思いますが、個人的に好きな作家かと聞かれれば嫌いな作家になります。

    もちろんブラックジャックなどは大変面白いですし、当時の子供達を熱狂させる娯楽性は大変高いものがありますが、手塚作品の「少年漫画」としての価値は、いかがなものかなと思います。
    手塚作品に書かれる少年像やテーマは、「健全な少年」ではない感じがするのです。(あくまで個人的な感想です)
    特に女性の描き方などは、やや男尊女卑の傾向にあるというか、ちょっと間違えればロリータコンプレックスのように感じる描写もあります。
    永井豪などのエロ漫画にある表現がわかりやすいエロなら、手塚のエロは性的な表現はない、なのになんかいやらしいとう感じです。
    話がそれて申し訳ありませんが、では何が健全な少年漫画かと聞かれればあくまで自分の意見ですみませんが横山光輝先生の「バビル二世」などではないかと思います。
    横山先生の描く少年こそ「憧れる」「こういう男になりたい」と感じる少年像の一つの手本ではないかと思います。手塚の描く少年に「ヒーロー」としての魅力があるかと聞かれれば甚だ疑問です。
    ブラックジャックは一見男らしく見えますが、やや臭すぎるというか、キザすぎる印象があります。(キリコの方がまだ魅力的というか。。。)
    もちろん増田氏から見れば前述の横山光輝も「あまり面白くない」と切って捨てられるかもしれませんが。

    しかし、こうやってアンチの意見が出るのも「いやそれでも手塚は神だ」など議論を盛り上げる要因になりますし、それによって再評価も高まるのではないでしょうか。
    増田氏の批判は私などが申し訳ありませんが、やや稚拙な感じがしますが、非常に正直で良いのではないかと思います。

    手塚も世の中で言われる程人格者ではなかったそうですし、それは宮崎駿などもそうだと思います。
    メジャーがあるからニッチが際立つのであって、そうやって批判されるのもやはり漫画界の「神」の業ではないかと思います。

    駄文申し訳ありません。

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